インド地図

インドの世界遺産
数千年の歴史と広大な国士を持つインド

インドはUNESCOの世界遺産に登録されている遺跡などの文化遺産が27件、
自然遺産が7件、複合遺産は1件で、合計37件(2016年7月)あります。
また、歴史的な遺産は数多くあり、40件の登録リストのほかにもま
だ登録されていない重要な遺産が多く現存しています。
インドの世界遺産には歴史的建造物が多くあり、どれもそれぞれに
特徴のあるものばかりで、特に精巧な彫刻は他では見られない
ものばかりです。インドは世界遺産の宝庫で世界遺産の多い国
ランキング、第6位(2016年)になっています。

活気かふれたメガシティ インド東部
独特な文化が魅力的 インド西部
アラビア海を一望できる!インド南部
7つの世界遺産を一度に!インド北部

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インド東部


世界遺産

01

カジュラーホーの建造物群

インド中部、マディヤ・プラデシュ州のニューデリーの南東、約500㎞にあります。インド中部、今は小さな村にすぎない古都カジュラーホには、10世紀から12世紀にかけて、チャンデッラ朝の最盛期の建立された85に上る石造寺院のうち、25の寺院が現存しています。砂岩に刻まれた見事な装飾彫刻は、当時の他の追随を許さないほどです。とりわけ、壁面を埋めつくす彫像群はその官能性で世界的にも有名なものです。ここでは無名の彫刻家たちが清々しい無邪気さをもって、古代インドの性愛論書[カーマスートラ]の教えを不朽のものとしたのです。1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

02

インドの山岳鉄道群

1999年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された西ベンガル州シッキム地方のダージリン・ヒマラヤ鉄道。その後2005年、2008年に登録内容が変更され、タミルナードゥ州ニルギリ地方のニルギリ山岳鉄道とデリー北部のカルカ・シムラ鉄道が追加になり、この3つをインドの山岳鉄道群といわれています。ダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界最古の山岳鉄道で開通は1881年、線路の幅が狭いのが特徴でトイ・トレインと呼ばれ、ヒマラヤ山脈の壮大な景観を走っています。ニルギリ鉄道は、今でも走っているインド最後の蒸気機関車鉄道の一つ。カルカ・シムラ鉄道は、カルカとシムラを結ぶ全長96kmの単線鉄道。このような初期の山岳鉄道の面影を残す重要な鉄道群です。


世界遺産

03

ブッタガヤのマハーボディ寺院

ブッダガヤの中心にあるマハーボディ寺は、ブッダが悟りを開いた場所に建てられたお寺です。紀元前3世紀、アショーカ王が釈迦の座った場所に建てた仏塔を起源とし、その後幾度も改修を重ね7世紀ごろに現在の形となりました。本殿は52mの高さがあり古いレンガで造られていて最上部は黄金で造られ、内部には黄金の釈迦如来像が安置されています。マハーボーディー寺院の裏手にはブッタが瞑想を行った菩提樹と石の台座すなわち金剛宝座があります。2002年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

04

ナーランダー・マハーヴィハーラ(ナーランダ大学)の考古遺跡

世界最古の大学で、紀元後450年にグプタ皇帝により設立されました。サンスクリット語でナーランダのナーランは「蓮の花」、ダは「知識を与える」を意味します。アショーカ王が紀元前3世紀に、大学の敷地内に寺院を建立しその場所で哲学者や錬金術師が日々研究していました。また、ブッタは雨期に訪れこの大学に宿泊し、「Pavarika」 と呼ばれるマンゴーの木立の下で説法していたのです。大学内には9階までの図書館があり、アーユルヴェーダーやヨガの本など、現存しない多くの素晴らしい本がありました。しかし、1193年モハマド・バックティアール・キルジの指示のもとイスラム教徒がナーランダ大学を攻撃しました。仏教徒の多くが死亡し大学は破壊され、900万以上の書籍や原稿が焼失し、それは有名なナーランダ大学の終わりの始まりでした。イスラム勢力によるナーランダー大学の破壊はインド仏教の滅亡を決定づけたのです。2016年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

05

カジランガ国立公園

北東部、アッサムティーで有名なアッサム州にある公園です。面積430km²の広さで野生動物の楽園。野生生物の保護に成功していて、インドサイやベンガルインドトラなど約15種類の絶滅危惧種が多く生育していることでも有名な国立公園です。1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

06

マナス国立公園

ブータンと国境を接するアッサム州北西部にある国立公園です。絶滅の危機に瀕するベンガルタイガーやアジア象、ガンジスイルカ、固有種のゴールデンラングールなど多くの野生動物の生息地であることに加え、それら動物たちの生息に適した自然環境の保護を目的に世界遺産に登録されました。密猟や民族紛争が原因で、1992年から2011年まで危機遺産に指定されており、1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

07

カンチェンジュンガ国立公園

カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」を意味しています。カンチェンジュンガ国立公園は850平方キロに広がる広大な地域で、海抜1829m、8586mの標高を持っていて、世界で3番目の最高峰であるカンチェンジュンガピークが含まれています。温帯と亜熱帯を持つこの地区は、シャクナゲやユリ、ランなどの被子植物が多く開花し、動物では絶滅の危機に瀕しているユキヒョウやヒマラヤツキノワグマなどが生育していることで有名です。全世界からトレッキングの愛好家が訪れます。2016年ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されました。


世界遺産

08

テランガーナ州:カーカティーヤ・ルドレシュワラ(ラマッパ)寺院

通称ラマッパ寺院として広く知られているカーカティーヤ・ルドレシュワラ寺院は、テランガーナ州ハイデラバードの北東約 200 km にあるパランペットの村にあります。 この寺院は城壁に囲まれた複合施設で、ヒンドゥー教のシヴァ神が奉られています。カーカティーヤ朝 (西暦 1123 ~ 1323 年) のルドラデーヴァとレチャルラ ルドラが統治している時代に建立されました。建築は西暦 1213 年に始まり、約 40 年以上続いたと考えられています。 寺院は五角形の台座(高さ約 180cm)の上に建てられました。この台座は本殿やエントランスホール、舞踏場など全ての部屋の基盤となっています。 寺院の壁や柱、屋根など至るところに神々や女性、踊り子、動物等の繊細で美しい彫刻が施されており、カーカーティーヤ朝時代の芸術の傑作を見ることができます。花崗岩に繊細な彫刻を施すのは大変な年月がかかるため、完成までに40年以上という長い年月がかかったと考えられています。 ラマッパ寺院とも呼ばれ親しまれていますが、ラマッパは彫刻家の名前です。彫刻家の名前が寺院の名称になることは大変珍しく、インドでそのような寺院は唯一この寺院だけです。 マルコ・ポーロはこの寺院を訪れ、「無数とある寺院の中でも最も美しい寺院である」と称されたとも言われています。

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インド西部


世界遺産

09

ゴアの教会群と修道院群

451年にわたるポルトガル支配はこの地方に独特の文化を育んできました。内陸の町や村には白い礼拝堂や教会が、のどかな田園風景の中にはひっそり佇んでいます。主都パンジムやマルガオにはポルトガル植民地時代に建てられた住宅や庁舎があり、廃墟に近いオールドゴアには、フランシスコ・ザヴィエルの壮麗な寝棺を安置しているボン・ジェス教会やザヴィエルの日本への案内者となったヤジロウ(日本人キリスト教)達が受注した聖パウロ学院の聖堂前壁など、多くの教会・修道院の遺跡が残っており1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

10

アジャンター石窟寺院群

造営は前1世紀に始まり2世紀からしばらく中断された後、5世紀末期に再開され7世紀まで続きました。紀元前後の第1期窟は構造も簡素で彫刻による装飾もほとんどなく、5世紀末期から7世紀の第2期に、石窟の構造が整備され、彫刻や壁画によって華麗に飾られるようになったのです。第9、10窟側壁の壁画は紀元前後までさかのぼる仏教絵画最古の遺品であり、6世紀初期と考えられる第1窟の壁画は、華やかな彩色と優れた技法になり、アジャンター壁画の頂点に立つものです。奥壁の仏堂左右に1本ずつ描かれている蓮の華を持つ菩薩はことに有名です。アジャンター壁画は、まとまった形で現存するインド唯一の例であり、しかもインド古典文化の絶頂期に描かれたもので、仏教絵画の源流としてきわめて貴重なものです。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

11

エローラ石窟寺院群

南端の第1~12窟が仏教窟で、7〜8世紀のものです。第10祠堂窟の外観は僧院窟に近くなり、内部の仏塔(ストゥーパ)は前面に大きな仏像を刻んでいます。第5窟の随所に多臂像や女性像など密教系尊像が見られるのも、末期の仏教窟の特徴です。第16窟のカイラーサナータ寺はパッタガルのヴィルーパークシャ寺を模したラーシュトラクータ朝盛期(8~9世紀)の岩石寺院で、幅45m強、奥行き85m弱にわたって岩山を削り取り、楼門、ナンディン牛堂、前殿、本殿(高さ約30m)を掘り出し、しかも周囲の岩壁に回廊や付属の石窟を掘っていて、その規模の点でも彫刻の作柄の点でも他に比類がありません。これらの石窟を飾る彫刻は、グプタ朝後期の作風を保ちつつ、チャールキヤ、パッラヴァ両朝の影響を強く受けたヒンドゥー教美術の最高傑作です。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

12

エレファンタ石窟群

インド、ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶエレファンタ島にエレファンタ石窟群があります。 6~8世紀に作られた合計7つのヒンドゥー教の石窟寺院があり、全てシヴァ神を祀っています。なかでも、最も大きい第1窟で三面のシヴァ神の像が5m程の巨大な浮き彫りでヒンドゥー教美術の最高傑作の一つとなっています。1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

13

サーンチーの仏教建築物群

サーンチーは、インドの中央部のマディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県にある丘陵の小さな村です。仏塔(ストゥーパ)・寺院などのインド最古の仏教遺跡があります。紀元前3世紀にアショーカ王が釈迦の仏舎利や高僧の遺骨を納め祀るストゥーパを建立しました。現在は3つのストゥーパがあり、最も古く仏陀の遺骨が納められているという第一塔はドーム型で大きさも最も大きいものです。その他のストゥーパも見事な彫刻でほぼ完全な形で残されていることで有名で す。1989年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

14

ビンベットカの岩陰遺跡群

デカン高原北部のビンディア山脈の山麓「マディア・プラデーシュ州」に位置している岩陰遺跡群。1万年以上前の石器時代以降に造られた岩窟住居群があり、5か所の岩山に合計約400の岩陰や岩窟、何千という岩絵が残されています。その中でも見ることができるのは15の岩陰や岩窟だけで、壁にはゾウ・トラ・サイなどを描いた岩絵や狩猟や採取などの当時の生活の様子が描かれています。2003年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

15

チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅

インド、ムンバイにある駅で、イギリス統治時代の1853年4月16日インド鉄道創業時第1号の列車がこの駅から出発しました。この駅舎を設計したのは、 イギリスの建築家フレデリック・ウィリアム・スティーブンス。設計に1年、1878年~1888年かけて建てられました。現在、インド最大の乗降客数を誇る駅の建物は、駅舎というよりむしろ宮殿のような豪華な建物で、建築様式はヨーロッパ由来のヴィクトリア・ゴシックに築にインド伝統様式であるドームや尖塔を融合したものとなっています。2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

16

チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園

インド北部のチャンパネール町にある多くの考古遺跡が密集しています。遺跡公園には未だ未発掘の遺跡が多くありま す。パーヴァガドゥ丘の頂上に立つヒンドゥー教のカーリーカマタ寺院は多くの巡礼者が訪れる重要な聖地とされている場所で、カーリー神様が祀られています。ヒンドゥー王国の都市遺跡が残るチャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園は2004年ユネスコの世界遺産(文化遺産))に登録されました。


世界遺産

17

グジャラート州パタンのラーニキ・ヴ

ァヴ「女王の階段井戸」

インドのパタン郊外、北西部にあるラーニキ・ヴァヴ(女王の階段井戸)は長さ64m、幅20m、深さ27mで7層からなる階段井戸の中でも最大規模です。井戸の壁面にはヒンドゥー教の膨大な美しい彫刻群が水を汲みに来た人々の目を楽しませていたことでしょう。パタンがグジャラートの都・アナニラパータカとして栄えた時の王ソランキー朝のビーマデヴァ 1 世の没後に、その慈善事業の 1 つとして王妃のウダヤマティが造ったものです。1050年に造られた州最古のもので、数世紀もの間沈泥で埋もれ保護されてたため、保存状態がとても良く美しい彫刻を見ることができます。2014年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

18

グジャラート州:ドーラヴィーラ遺跡

現在グジャラート州には4 つの世界遺産があります。カッチ湿原のカディール島にあるドーラヴィーラ遺跡はそのひとつで、2021年ユネスコの世界遺産リストに加えられました。ドーラヴィーラは、4500 年前にもさかのぼるインダス文明で有名な二大都市、モヘンジョダロとハラッパーに匹敵する規模を持つ遺跡として世界的に注目されています。 ドーラヴィーラ遺跡は世界各地の文明と比較しても早い年代から集水溝・貯水槽などの高度な水利施設が発達していた都市であることがわかっています。インダス文字が書かれた看板も出土し、これは世界最古の看板であると考えられています。 発掘調査からこの文明の発展、成熟~衰退までには 7 つの段階があることが判明していますが、文明の最後の段階についてはまだ多くの謎が残されており、現在も研究がすすめられています。 ドーラヴィーラ遺跡では、古代より高度な文明が存在していた証の数々を直接目にすることができます。まさに世界遺産と呼ばれるにふさわしい場所です。

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インド南部


世界遺産

19

アーメダバードの歴史的な街

アーメダバードは15世紀にグジュラート・スルターン朝のアフマド・シャーによってサバルマ ティ川の東岸に設立され、約650年にわたりグジャラート州の州都として栄えた続けた城壁のある街です。 アーメダバードは、要塞都市の城壁や門、数多くのモスクなど建造物や重要なヒンズー教寺院 やジャイナ教寺院の精巧な彫刻であることから、インド最初の都市として2017年7月8日に世界遺産都市に認定されました。アーメダバードには25近くの保護遺産があり、鳥の餌箱、公共の井戸、宗教施設などの特徴を備えたゲート付きの通りに、密集した伝統的な集合住宅地を歩いて見学するヘリテージウォークがお勧めです。


世界遺産

20

ムンバイのヴィクトリア朝とアール・デコの遺産群

ムンバイのヴィクトリア朝とアール・デコの遺産群は、ムンバイの要塞地区にあり、以前はエスプラネードとして知られていたオーバル・マイダンを中心に、文化的に重要な94の建建築群があります。 ヴィクトリア朝のゴシック様式とアールデコ様式の遺産群は、約200年にわたる建築と都市計画の発展を反映しています。最初の拡張は、ヴィクトリア朝ゴシック建築群の公共建築物群の1880年代の建設とオーバル・マイダンの創設をしました。20世紀初頭のバックベイ再生計画はアール・デコの住宅、商業用およびクリケット・クラブや映画館など娯楽用の建物と「女王のネックレス」とも呼ばれる美しい景観のマリン・ドライブの海辺の創設とともに、ボンベイが西に拡大する新たな機会となりました。ヴィクトリア朝の壮大な公共の建物群は、バルコニーとベランダを導入することによって地元
の気候風土に適応しながら、インドの要素とゴシック様式の復活要素を混ぜることによってインドゴシック様式を建築しました。ムンバイ高等裁判所や官庁、大学、博物館などがあります。アール・デコの建築群は、ムンバイの象徴的な映画館や建物と集合住宅、インドのデザインとアール・デコのイメージを融合させ、インドデコとして知られるようになったユニークなスタイルを作り出しました。
2つのアンサンブルは建築様式、建築資材と技術の進歩の段階、都市計画の哲学を表しています。2018年6月に文化遺産として登録されました。


世界遺産

21

コナーラクのスーリヤ寺院

コルカタ南西のコナーラク村にヒンドゥー教の太陽神スーリヤを祀っている寺院があります。13世紀にナラシンハ・デーヴァ1世によって20年の歳月をかけて造られました。寺院の全体が7頭の馬に曳かれる馬車に乗っていたという太陽神スーリヤの話がインドの古代文学「ヴェーダ」に載っており、そのことから寺院を馬車に見立てた造りになっていま す。基壇の側面には車輪が12対24個彫られていて、壁面には舞踏人物や動物など多くの彫刻が寺院全体に彫られている見事な寺院です。1984年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

22

マハバリープラムの建造物群

4~9世紀に内陸にあるカーンチプラムにパッラヴァ朝の首都が置かれてました。その東65キロのベンガル湾に位置するマハーバリプラムは東西貿易の拠点として栄え、ヒンドゥー教徒が居住したため町には多くのヒンドゥー教寺院が建立されました。パッラヴァ朝のマーマッラ王やその後裔は、貿易港であったマハーバリプラムの海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残しました。当時多く使われていた花崗岩の岩山を掘削した石窟寺院、岩壁彫刻や石彫寺院、また最初期の石造寺院である石積みの海岸寺院など、優れた彫刻の建造物が数多くある寺院です。これらの寺院はインド中世建築発祥の地のひとつとしてきわめて重要であり、1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。当時の木造寺院を模して壁面にライオンや象などが刻まれた「5つのラタ」と呼ばれる一連の石彫寺院は特異な遺跡として名高いものです。


世界遺産

23

ハンピの建造物群

インドのボリウッドで有名なムンバイの南東にあります。14世紀、南下するイスラム勢力に対抗するため、南インドに興ったヴィジャヤナガル王国(1336~1649年)の首都が現在のハンピで、当時はヴィジャヤナガル(勝利の都)と呼ばれ、50万の人口を擁する大都市として栄えてました。しかし、1565年ムガル帝国のイスラム軍に敗れ、町は廃墟となり多くのヒンドゥー教寺院が残されました。遺跡は現在発掘中ですが、面積が広大なため、発掘されたのはまだほんの一部だけなのです。このような、貴重な遺跡であることが評価され、1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

24

パッタダカルの建造物群

パッタダガルはインドのカルナータカ州北部の村です。6~8世紀にかけて建てられた9つのヒンドゥー教寺院があり、すべて宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀っています。北方型と南方型のヒンドゥー教寺院が残されており、屋根が砲弾形をしているのが北方型で、その代表はパパナータ寺院。また、南方型はピラミッド形の屋根をしており、マッリカールジュナ寺院とヴィルーパークシャ寺院が代表的です。1987年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

25

大チョーラ朝寺院群

南インドのタミルナードゥ州中南部に位置する、11~12世紀に建造された3つのヒンドゥー寺院群。大チョーラ朝寺院はラージャ・ラージャー1世がタンジャヴールに建てたブリハディーシュワラ寺院が1987年に最初にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。更に2004年に大チョーラ朝寺院群として、彫刻や壁画が見事なガンガイコンダチョッリスヴァラムのブリハディーシュワラ寺院とダーラーシュラムのアイラーヴァテーシュヴァラ寺院が世界遺産(文化遺産)に追加登録されました。


世界遺産

26

西ガーツ山脈

インド半島西岸を、ほぼ海岸線上平行に走る山脈です。ガーツとはヒンディー語で階段の意味でデカン高原の東西両縁の山地が、海岸平野から階段状にせり上がるところから、東ガーツおよび西ガーツと呼ばれています。西ガーツ山脈は、生物多様性のホットスポットで、人類による破壊の危機に瀕している生物を多種擁する地域です。世界的に絶滅が危惧されている植物相、動物相、鳥類、両生類、爬虫類、魚類が、少なくとも325種生息しています。2012年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

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インド北部


世界遺産

27

タージマハル

1631年に死去した愛妃のためにシャー・ジャハーンが22年の歳月を費やして建てた愛のシンボル。白大理石の世界一豪華なお墓です。シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自分のお墓黒のタージマハルを建てようと計画していました が、息子によってアーグラ城の一室に幽閉されてしまったので実現しませんでした。その部屋からタージマハルをを見ることが唯一の喜びだったのでしょう。今ではシャー・ジャハーンは愛する妻と並んだ墓石で眠っています。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

28

アーグラ・フォート

インド北部、ニューデリーの南200㎞のムガール朝の旧城塞です。16世紀の第3代アクバル帝に始まりましたが大部分の建築物は第5代シャー・ジャハーンは帝時代の造営です。「赤い城」の名の由来となる赤砂岩造りの二重の城壁と門でできています。今ではシャー・ジャハーンが幽閉された部屋に入ることはできませんが、アーグラ城からタージマハルを眺めることはできます。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

29

デリーのフマユーン廟

16世紀に建てられたムガル帝国第2皇帝フマユーンの霊廟です。皇帝の妻ハージ・ベグムは愛する亡き夫のためデリーのヤムナー川のほとりに9年の歳月をかけ壮麗な霊廟を建てました。赤砂岩と大理石の象嵌技法で造られているため劣化せず、美しいコントラストです。イスラム教にとって塀に囲まれ、日陰と水が豊富にあるこの庭園は[天国の楽園]を模写したものでした。1993年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

30

ファテプールシークリー

アグラフォートと同皇帝アクバルによって、息子の誕生記念として建設された都市です。しかし慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間しか使用されず廃墟となってしまった。いわばゴースタウントです。1986年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

31

デリーのクトゥブ・ミーナールとその建造物群

インド最大のミナレット(塔)で高さが72,5mで5層になっています。12世紀末にスルタン・クトゥブウディーン・アイバクがヒンドゥー教から勝利した記念として急いで建てられました。そのためヒンドゥー教寺院を破壊しその石材も使用されたので、よく見るとヒンドゥー教の神ガネーシャの彫刻などが刻まれています。ヒンドゥー様式とイスラム様式が混在した建造物になっています。中庭にある鉄柱は4世紀ごろに建てられたものですが今も錆びずに残っています。1983年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

32

ジャイプルのジャンタル・マンタル

マハーラージャ・ジャイ・フィン2世によって、1728~1734年に建てられました。他にデリーやバラナシなど5ヶ所に天文台が建てられましたが、ジャイプルのものが最も規模が大きいです。敷地内には様々な天体観測器が20個程あり、最も目立つのは27.4mもあるサムラート・ヤントラで現在でも2秒ごとに時間を計測できます。2010年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

33

ラージャスターン州の6つの丘陵城砦群

インド北西部にある世界最大の砂丘。ラージャスターン州の砂漠の砦はアンベール、ランタンボール、チットールガル、ガグロン、クンバルガール、ジャイサルメールの6つからなる城砦群です。インド最大の州ラジャスタン州には8世紀からラージプート族が住んでおり、ヒンドゥー教を主体とした独自の文化を築いていました。ラジャスタン州はペルシアやトルコなど他国から人が交わる場所であったため、ずっとこの地で暮らしてきたラージプート族は、厳しい砂漠での生活環境と、他国からの価値観を取り入れながら、丘陵地帯に堅固な城塞を築いてオアシス都市群を築き上げました。2013年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

34

ル・コルビュジエの建築作品
―近代建築運動への顕著な貢献―

ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887〜1965)は、フランス・パリを拠点に活躍した建築家 ・都市計画家で20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人です。数ある建築物の中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件です。世界各地に所在する彼の建築・都市計画作品のうち、フランスを中心に7 カ国に残る建築群が対象で、大陸をまたぐ初の世界遺産登録となりました。インドでは、パンジャブ州チャンディーガルの都市計画で2016年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


世界遺産

35

ナンダ・デヴィ国立公園

インドではウッタラーンチャル州のチャモリ市にあります。ナンダ・デヴィ山は7816mあり「祝福された女神」という意味をもち、脆弱な生態系を保護するため入山は2400~6817mまでの決まりで登山やトレッキングができます。絶滅の危機に瀕する大型ネコ科のユキヒョウの最後の生息地の一つであり、他にもツキノワグマ、ユキヒョウ、ヒグマと青羊などの希少かつ絶滅危惧種の様々な動物や珍しい植物が生育しています。この地の花や植物は、アーユルヴェーダーや薬にも使用されています。ナンダ・デヴィ国立公園は毎年5月1日~10月31日に開放されます。1988年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

36

ケオラデオ国立公園

インドのラージャスターン州にある世界でも最高級の鳥の公園の一つです。以前はバラトプル鳥類保護区内として知られていました。ソデクロ鶴のような絶滅危惧種や希少種が越冬地として過ごしています。スリランカ、ヨーロッパ、シベリア、中国やチベットなどからの渡り鳥や自然鳥375種類が生育しています。1985年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

37

スンダルバンス国立公園

インドの西ベンガル州にある国立公園です。世界最大のデルタ(三角州)地帯の一画を占めて数多くの希少種や絶滅危惧種が生息している地です。広大なマングローブとしても有名でベンガルトラ、ヒョウ、ガンジスカワイルカなどの希少な野生動物が生息しています。1987年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

38

大ヒマラヤ国立公園

インド北部のヒマーチャル・プラデーシュ州、ヒマラヤ山脈の西部にある豊かで多彩な自然が広がっている国立公園で す。標高6,000mの高山は万年雪で氷河による渓谷、山岳地帯の牧草地、標高に対応した独特の生態系が見られる様々なタイプの森林が広がっています。広葉樹林から針葉樹林まで25種の森林形態が存在し、被子植物に限れば58%が固有種です。ハイイロジュケイやジャコウジカなど絶滅危惧種をはじめ多くの野生動物が生育しています。こうした多様な動植物の宝庫なのです。2014年ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。


世界遺産

39

赤い城の建造物群ラール・キラー

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てた城塞。赤砂岩を城壁に用いたため赤い砦、英語でレッド・フォートと呼ばれています。オールドデリー中心にそびえ立つ巨大な城で17世紀中ごろに9年の歳月をかけ完成しました。2007年ユネスコの世界遺産に登録されデリーで代表する観光スポットとして毎日たくさんの人々が訪れています。


世界遺産

40

ラジャスタン州:ジャイプール市街

ジャイプールは、インドのラジャスタン州において訪れるべき最も美しい都市の 1 つです。 ピンクシティとも呼ばれ、親しまれています。 「ジャイプール」はヒンディー語で「勝利の都市」を意味しています。 この都市は、ラージプートの当時の藩王マハラジャ サワイ ジャイ シン II 世が、王国の首都をアンベールからジャイプールに遷都したことにより、18世紀より建設がはじめられました。ジャイプールという都市の名前は王の名に由来しています。 イギリス統治時代の1876年、ヴィクトリア女王の息子アルバート王子(ウェールズ公)がジャイプールを訪れることになった折に、歓迎の意味を込めて街全体がテラコッタピンク色に塗られました。このピンク色は、活気とおもてなしの心を表しています。 街の中心部はまだ大部分がピンク色をしており、ジャイプールの見どころのひとつとなっています。 ジャイプールのバザールや美しい宮殿、要塞内部には、色とりどりの衣装をまとった人々、聖牛、リキシャー、象などあらゆるものが行き交っているため、街はせわしく混沌としています。この独特の光景とピンク色の街という珍しさも相まって、ジャイプールはインドでも人気の高い都市のひとつです。

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